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くじらの食文化


~ 縄文時代から息づく、くじらと日本人の長い歴史と文化 ~

鯨食は6,000~9,000年前から!歴史をくじらとともに歩んできた日本

日本は海に囲まれた島国であり、日本人は、海の幸を重要な資源として、古来から活用してきました。縄文時代早期(約6,000~9,000年前)にはくじらを食べていたとされ、縄文時代中期(約4,000~6,000年前)にはくじらの積極的な捕獲が行われていたと考えられています。

長い歴史をくじらとともに歩んできた日本には、捕鯨を通じて信仰が生まれ、唄や踊り、伝統工芸から食文化まで、多くのくじら文化が実を結び、現代に伝承されています。

長崎県民はくじら好き?!
江戸時代から続く長崎伝統の食文化

県民ひとりあたりの鯨肉消費量が一番多いのは長崎県です。長崎県内の鯨肉流通量は256.8t、ひとりあたり197.5gとなります。次いで、佐賀県(168.1g)、宮城県(148.5g)、山口県(133.7g)、福岡県(120.7g)の順となります。ちなみに流通量が多い県は、福岡県(545.7t)、大阪府(533.5t)、東京都(473.6t)の順です。

出典=「平成20年調査副産物 都道府県別流通量」(推定)

昭和を代表する給食メニューの王様「鯨の立田揚げ」

鯨の竜田揚げ

昭和30〜40年代に学校給食を体験した人のアンケートによると、最も思い出深い給食メニューは「鯨の立田揚げ」です。

当時の日本は捕鯨大国であり、安価で栄養価の高い鯨肉は、食卓のみならず給食でも人気の食材として、立田揚げを筆頭に、鯨の香味焼き、鯨肉の味噌煮、酢鯨、鯨のボルシチなどのメニューとなり頻繁に登場していました。

昭和35年当時の給食費は1ヶ月平均380円で1食約22円。この予算内でおかずもパンも果物もまかない、さらに栄養バランスをも考えなくてはいけないため、牛肉や豚肉よりも安い鯨肉を使わざるを得ないという台所事情も大きかったようです。栄養士さんは「あの頃の鯨は独特のくさみが強かったので、くさみを消す献立作りに苦労しました」と当時を振り返ります。

動物性のたんぱく質が豊富な鯨肉は、育ち盛りの子どもたちには欠かせない栄養源でしたが、昭和45年頃から商業捕鯨が制限されるようになり、昭和50年頃からは鯨肉が高騰し、徐々に学校給食のメニューから姿を消すことになりました。

 

海からの恵みを、余すところなく上手に美味しくいただく日本の鯨食文化

日本近海はくじらの回遊路にあたり、約40種類ほどの鯨類が生息しています。日本人にとってくじらは海からの恵みであり、鯨油鯨肉だけでなく骨や皮まで、くじらの全てを捨てることなく、ありがたく利用してきました

日本では、仏教の伝来とともに、獣の肉を食べることが禁止されていたため、魚による食文化が発展。魚の仲間と考えられていたくじらは、貴重な動物性タンパク源として食されています。

江戸時代後期の1832年に出版された「鯨肉調味方」には、くじらの約70もの部位について料理法が記載されており、骨と歯とヒゲ以外、たとえば歯ぐきまでおいしくいただく記述があります。肉や油だけでなく、皮から五臓六腑まで食べ物としてくまなく利用する日本のくじら料理は、世界に類を見ない日本独自の食文化です。

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